書く実験の記録

#794 ごちゃごちゃの棚に、今年を置く

日本には「もういくつ寝るとお正月」というような、ことわざ……ではなく民謡というか童謡というか、どっちか教えたけどどっちか忘れてしまったが、まあそういう歌がある。今日は12月6日なので、あと25回ぐらい寝るとお正月ということになるだろうか。1年が経つのは本当に早い。多分そうこうしているうちに、あっという間に時間がなくなっていくんだろうなと思っている。

ただ、いくつか大きなエピソードは今年もあったし、記憶に残っていることもある。それ自体は悪くない。

知り合いのイベントに行ったら、ある種の展示会のようなイベントだったのだけれども、そこにはすごくパーティーが好きな人がいて、パーティー自体を作っていたというか、そのパーティー自体も企画しているし、パーティー的な雰囲気自体を作っている。そのイベント自体はパーティーそのものではなく、イベントの中にパーティーのような時間や場所を作り上げるということをその人はやっていた。

必ずしも全員がそういうことをやるわけではないが、その中にそういう人が一人、もしくは数人いて、それぞれ違うことに興味や強みがある人間がいるというのは、カオスならばカオスな場所、そういうシーンになるという意味で非常に面白いと思っている。

だから「ごちゃごちゃ」というと悪い響きに聞こえてしまうかもしれないが、決してそういう意味ではなく、いい意味での“カオスさ”、過剰さのようなものがある。例えば有名なアーティスト——いや別に有名でなくてもいいのだが——が気になったもの、好きなもの、試したものなど、様々な方向のものがごちゃごちゃ置いてある棚や机の上のようなものが、私はすごく好きだし、それは魅力的に映る。

自分も昔はあまりやっていなかったが、ここ近年は気になったもの、例えば立体の彫刻、フィギュア、ガチャガチャの人形、小物、ステッカーなど、「ピンと来た」「面白い」と思ったものを集めるようにしている。場所は取ってしまうのだが、最近は壁につける棚のような良いものも昔と違ってあるし、そういう棚を壁につけていろんなものを置いている。

そこには自分が過去にどういう時に何を手に入れたのか、何が気になったのかを覚えているものがほとんどだが、中には覚えていないものもある。しかし様々なエピソードがあり、様々であるがゆえに統一性があるようでなかったり、非常にごちゃごちゃしている。一つの統一したディレクションではなく、バラバラのものになるのだが、それがまた面白い。

そういうカオスだったり、ある人のミニマリズムの対極——ミニマリスト感というのは情報量が少ないということだと思うが——とは全く逆である。できるだけものが少ない家を見ると「ミニマリストだね」ということになるが、それはものだけでなく情報についても同じだと思っている。情報量が少ない状態に抑えられているのがミニマルなのだと思う。

一方で、例えば画面上にたくさんの色を使ったデザインや、たくさんのバラバラのフォントを使った文章があれば、それはもちろんミニマルとは捉えられない。しかし、おそらく少しミニマルなものに飽きている気がしている。ミニマルなものとミニマルでないものには、それぞれ面白い場面があると思うし、どのアイテムか、どの場面か、そしてその日の気分によっても変わるので、どちらも美しいし面白いと思っている。

私が集めたごちゃごちゃしたものと、別の人が集めたごちゃごちゃしたものには違いがあるだろう。仕事で言えばディレクションだし、趣味ならもちろんディレクションではないが、あえて言うと、引きで見るとその人の違いのようなものが見えてくる。それは大きな意味でのディレクションが存在しているということだと思う。

それは「ディレクションしようとして」集めたものではなく、明確なルールを決めて集めたわけでもない。むしろ、気になったもの、作ったもの、様々な文脈で集めた結果としての“無意識のディレクション”のようなものが面白いのだと思う。影響を受けたり、新しいものに気づいたり、発見したりして集まったもの——それが物であったり時間であったり出来事やエピソードであったり——をかき集めて、今年1年の「ごちゃごちゃした棚」のようなものが、自分の中の架空の棚に並んでいるのだと思う。

それが、できれば何か可視化して並べられると面白いよね。

2025-12-06

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