書く実験の記録

#796 専門性

専門性とは何なのか、どういうことなのかについて最近よく考える。もちろん専門性というものは辞書的な意味では分かっているつもりだけれども、しかし誰かが持っている何かの専門性というものは、それは実際のところどういうものなのだろうかと思う。これはだから辞書的な定義の話というよりは実践の話だと思う。

では、そうだな、何について考えているのかと言うと、まあこういった場合はおおむね仕事に関係する話なんだけれども、まずシンプルに考えると専門性というものは、つまり何か一つのものに対して他の人よりどのくらい秀でているのかということだと思うし、専門家に対して他の人より優れていることとはちょっと違うんだけれども、別の言い方に言い換えてみると、そうだな、何か一つのことに他の人より詳しかったり得意だったり上手だったりするわけだ。

ではその中で、そうだな、専門性というものは徐々に失われていくものなのか、それとも獲得していくものなのかと言うと、これはだからまさに定義だけで言えばもちろん自分がどうしたいか次第だし、獲得していけば努力をしていけば、それにさらに運がよければ専門性を深めていくことができるだろうし、何もしなければ専門性が薄れていくこともあるだろう。

この専門性が高まっていくということについては、まあそうだね、一つはそれ自体は分かりやすくて、何か一つのことを勉強したり練習していったりして高めていって、他の人より上手になるということだろう。では次に専門性が失われていくということについて考えると、一つはしばらくやっていなくて自分自身のその能力が衰えていくということ、それによって専門性が失われるということがあるだろう。また、同じだけの専門性を持っているけれども環境が追いついてきてしまっているということがあるだろう。

例えばプログラミングなどは10年前、20年前よりはできる人が増えているだろうし、そういう意味で言うと専門性というものは薄れていると思う。もちろん、より高いレベルの人間というものもその10年20年で生まれているわけだから、その人の専門的な価値が薄れているわけではないけれども、ある種類のある技量というものがもしあったとして、つまり何かこうスキルのマップ上に何かをプロットしたとしたら、それが10年前と20年前と現在であればおそらくその点が動いていなければ専門性は薄れているだろう。非常に簡単に言うと、多分20年前にHTMLを書ける人はそれほど多くなかったけれども、今はその時よりは書ける人は多いだろうし、そういう意味で言うとHTMLを書けるということの専門性は下がっている、薄くなっているとは言えるだろう。

あとはまあ最近であれば、手の中のAIの進歩によって何らかの専門性というものが失われている分野というものもあるだろう。AIに限らずあらゆるテクノロジーというものは人間の技術を模倣してそれを超えていく、そしてそれを置き換えるような動きをする。それはテクノロジー自体の特性というよりは、まず人間の発想として人間が全く想像できないものを作れないわけだから、人間がやっていることというものはまず対象になる。それを機械でやってみるということが対象になるというのは自然なことだし、それがもしできたとしたら、それが人間より安い、もしくは効率が良い、結果的に合理的である、経済的に合理的であるとするならば、それを置き換えていこうとするのもまあ必然である。

こう言ってしまうと人を機械で置き換えることに完全に賛成している人間のように思えるかもしれないが、別にそういうことではなくて、それは人間ができるということを正しく測れていない場合はその置き換えというものが適切ではないこともあるだろうし、もしくは市場環境全体に関して言えば、昨今よく言われていることだけれども、そもそも何か売るものをロボットを使って作ったとしても、もしそれを買う人がみんないなくなってしまっていたら、労働者がみんなお金を得ることができなくなってしまっていたら、それは誰が買うんですかということになる。全ての機械化に対してそれが良いものであると思っている、合理的であると思っているわけではないということは付け加えておこう。

2025-12-09

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