書く実験の記録

#819 反芻

何かの時に思い出して、例えば「昔こういう文章を書いたなあ」というふうに思い出し、それを提示する。例えば、誰かと会話しているときに「そういえば、そういうことを昔考えていて、ちょうどこういう文章を書いたんですよね」というように会話の中で出すことがある。

けれども、それはやっぱり、そもそもそのこと自体を覚えていなくてはいけないし、検索できなくてはいけない。自分でそのタイトルや内容を覚えている、あるいは何かしら一覧を見て探せる、といったことが必要になる。つまり、覚えていなくてはいけないわけだけれども、いつも思い出すのは、せいぜいノートに書いていた記事や文章のほうだ。

残念ながら、ここに雑に書いている文章のことは、正直言ってあまり思い出すことはない。きっと反芻することが大事で、ノートに書いていた文章のようなものは、ある程度しっかり書いていたものなので、そもそもそれを書き終わるまでに、何度も何度も読み返して修正している。

一方で、今ここで書いている文章というものは、正直言って、書いた瞬間に流れ出るまま定着させているだけで、それを二度と読み返すことはない、というのは言い過ぎだけれども、何かない限り、主には流れていくだけだ。思い出すこともないし、自分自身すら思い出すこともない文章に意味はあるのかと言うと、もちろんあるのだけれども、しかし意味は違うとは思う。

これはこれでやりつつも、やはり反芻するようなことは必要なんじゃないかなと思う。最近こういうことは話題だけれど、それに関連して「この頃にこういう予測を立てていたな」ということを、わりと整理された状態で、きちんと話せたりする。そういう意味でも、文章として書いて残しておくというのは良いことだ。

もちろん、過去の文章というものは、その後に予測が間違っていたり、考え方がアップデートされたりといったことはあるので、すべてが正しいわけではない。そもそも正しさだけの問題ではなく、正しいか正しくないかという軸がない領域だとしても、考えが変わることはある。

しかし、それはスナップショットだと思っているので、その時そうであったということ自体は別に問題はない。少なくとも個人的なことであるし、そこの歴史を修正する必要まではない。むしろ、その変化にこそ面白さがあると、自分自身は思っている。

このようなことは続けるのだけれども、やっぱり反芻というものを含める仕組みは必要なんじゃないかな。そして、そこは足りていないんじゃないかな。

2026-02-09

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