書く実験の記録

#824 炎上を恐れる

基本的に、私はひどく炎上というものを恐れている。このことについて深く考えてみたことは、あるようでないような内容であるような感じはするけれども、ないわけではないとは思うが、自分の中では少なくとも深く考えられているという自覚はない。つまり、まだ深く考えられていないんだろう。

そうだな、1つはまず、じゃあ炎上というものを恐れているというのはそもそもどういうことなのか。それはつまり、そもそも私は炎上というものをどう捉えているのか、炎上というものをどう定義しているのか、何を炎上だと思っているのかということもあるし、それが明らかになった上で、じゃあその炎上というものをなぜ恐れているのか、その今定義した炎上というものをなぜ恐れているのかということ。それは恐れなくてはいけないものなのか、私が本当に恐れているのは何なのかということもあるだろう。

そして次に、その恐れているから恐れているということは、まあその考えたとして、ではどのようにそれを避けるようにしているのかということ、その方法の妥当性みたいなものもあるだろう。つまり、これは私はなぜ炎上を恐れているのかというか、私は炎上を恐れているということを前提にして、そもそも何を恐れているのかというその対象の定義を明確にするということ。そしてそれを恐れるとはどういうことなのかというその行為の定義を明確にするということ。最後に、その行為というか、行為だね、手段としての行為の妥当性を問うというところかなと思う。

まず炎上とは何なのかについて考えてみる。これは辞書的な定義を語っているわけではない。だからここに正しいか間違っているということはないし、というこの但し書きを入れている時点で、これは私のすでに炎上対策というか、ちょっと難しいし、これは先ほどの定義の話にもなってくるんだけども、結局それはその結果として炎上するだけだから、それともう少し遡るというか掘り返してみると、それは批判と、批判だと思う。

つまり、批判されていることを恐れているんだ。批判されるということを極端に、もしくは必要以上に恐れている。しかし、今言ったような極端にであるとか、その必要以上にであるとか、そういったものは結局物事を曖昧にするためのそのごまかしの言葉、少なくとも何だろうな、これもまたごまかしの言葉だけれども、それらの言葉を使うような人間が全て何かをごまかしているというつもりはないけれども、少なくとも今私が行った使い方、私自身においては、これはやはりそのごまかしの言葉ではあるとは思う。そしてそのごまかしの言葉を使った結果、じゃあ必要以上にというものであるとか、その過剰にであるとか、どういうものなんだっていうことの新しい問題が発生してしまうわけだね。

ということを入力してるうちに、時間があと10秒しかないし、あとそもそもなぜかすごく今突然ものすごく眠くなってしまった。むしろ一瞬寝ていたかもしれない。

2026-02-17

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